伝統的な着物は、江戸の時代から1反の布を同じ比率で無駄なく直線裁ちしてありますから、古着でも古布でもすべて規格品でした。この点が、分解してしまえばほとんど商品価値のなくなる洋服とはまったく異質で、根本的にリサイクル構造になっています。
江戸時代までの日本では、布はすべて手織りですから、生産力が低く非常に貴重品でした。江戸のような大都会でも、流通している着物の大部分は古着だったそうです。そのため、古着の売買が大きな商売になっていました。享保8年の記録によれば、古着商は同業組合のメンバーだけで1182軒もあり、組合員以外の業者も含めると膨大な数だったようです。主要産業といっても過言でない規模でした。
第一に最も大きな違いは洋裁は縫い代を切り落としてしまうのに対して和裁は反物を大事に使うため(一反の限られた長さの反物から作る。*反物は同じ物のようでも微妙に織りや染めが違ってしまうので、同じ物はないと考えて裁断します。)無駄に縫い代は切り落としません。
和裁でもコート類は衿は曲線に裁ちますが、着物類は縦横の直線断ちにします。従って、ほどいてつなぎ合わせると元の反物の状態に戻せます。
それに対して和裁は、先が細く同じ太さの針で一本糸で縫うため生地をほとんど傷つけないで済みます。特に、絹物の場合は、絹自体が湿気により、伸び縮みしますので水に通すとほとんど縫った縫い目が残りません。
一人前の和裁師であれば、反物の裁断から仕上げまで全部一人の手で仕立てます。
韓国のチマチョゴリ、ベトナムのアオザイ、インドのサリーなどの他の国の民族衣装と比べると日本独自の文化から生まれた着物は、その素材や柄付け、縫製の点で世界の中でも特に美しい民族衣装です。 これは決して手前みそでは無いと思います。
江戸時代のように日本人が、着物だけの生活の時には、今ほど着物はキチンと着ていなかったと思います。反物の少なかった時代には、今ほど生地を夏用や冬用に変えられたのでしょうか。若者はどんな格好をしていたのでしょうか。
江戸時代から着物は生活の中で日常着としての着物は、ほとんどの女性が針仕事として仕立てていましたが、現在は、運針すら出来ない女性がほとんどではないかと思います。洋服の普及や外国文化への傾倒が本来日本人固有の文化をおろそかにしている気がしてなりません。
現在日本で和服の仕立てを仕事としている人達は、どんな人達でしょうか。
・和裁の専門学校や和裁所を卒業して国家資格をとって独立して個人で呉服店の仕事をしている人
・和裁所(昔は、三越専属和裁所とか高島屋専属和裁所など各デパート店の仕事を一手に引きけるような大人数の和裁所が沢山ありました。ここは職業見習いとして学費は払わずに修行という形で所属できる場所です。)の生徒として親方(先生)の指示の元に仕事をしている人。
・国家資格は持っていないが、昔はよくあった和裁塾のような自分の着物や親類の着物を材料にして習いながら、いろいろ苦労して現在は職業にしている人。
・会社に所属して下請け加工者として仕事をしている人。
着物の仕立ても他の製造業と同様に現在かなり多くの数量が海外で生産されています。海外縫製は平成元年くらいからすでに始まっていますのでもうすでに20年近くの歴史があります。元々広島の和服縫製組合のメンバーが起こしたことと聞いてしますが、始めた方は日本の和裁学校経営者です。
中国をはじめとして現在はベトナムでの生産も盛んなようです。当初はひどい仕事も目立っていましたが、現在は海外縫製業者も淘汰されて技術的にはかなり進歩しています。
それに対して国内縫製はやはり安い海外縫製に仕事をとられてすでに都会では若い生徒が育てられないレベルまで生産数量は落ち込んできてしまっているのが現状です。その点で現在国内で生き残りをかけて和服を仕立てている業者や個人は大変優秀な技術者か特定の上得意(国内縫製でないと受け付けない人たち)をもった人達、さらに非常に手間の掛かる仕事を安い加工賃で必死に仕立てている方たちだと思います。
戦後の日本教育の中で愛国心を育てる方向が欠落してしまったように思います。愛国心が他国からまた戦争を始める国だと思われるからでしょうか。そういうことではなくて、美しい四季のある東洋の島国日本の本当の良さを日本国民の大部分の人は知っているのでしょうか。そういっている私もまだ解っていないと思いますが。
■小紋の裁断は大変です。
江戸小紋のような柄の場合は、裁断にもあまり時間は掛かりませんが、大きな飛び柄となると非常に時間が掛かるときがあります。時には、一日ががりになることもあります。
なぜかと言えば、基本的に着物の柄合わせは、できるだけ、付下げのように胸や前身頃に良い柄を出し、目立つお尻には柄の重ならないように配慮しながら柄を決めていくのですが、限られた反物の長さでその組み合わせを考えていくのは、容易ではありません。
一カ所に良い柄が出ると思って身頃のような長い部分を全体をよく見ないで裁断してしまうと、衿や衽の半巾の部分に全く位置関係の変な柄しかでなくなったり、柄が中途半端んな位置で切れてしまったりして、良くない感じの柄合わせになることが、多いのです。
小紋の柄合わせには、絶対の決まりはありませんが、裁断のルールがありますし、いろいろな変化が考えられ、その組み合わせは、何通りもあります。裁断する人の知識とセンスが要求されますので、この意味では、訪問着などのえば物のように柄合わせが決まった物の方が、考え方としては、簡単な場合があります。
絹物を縫えるようになるためには、初心者は、まずは、綿の生地や堅い帯芯などを糸を付けずに最低毎日約一週間、何時間か練習して左右の手の連動を体に染みこませるような期間を持たなければなりません。そればかりでは、飽きてしまうので、次に糸を付けて何週間か綿のものをまっすぐ縫う訓練をする必要があります。
その後、ある程度同じ針目でまっすぐ縫えるようになってから、絹物の胴裏や襦袢などの羽二重ものを真っすく縫えるように練習します。絹物は、非常にデリケートなので、両手の引き加減が強くても弱くてもきれいに縫えません。同じ力加減で、ミシンのようにスムーズに優しく生地に合わせて両手の連動が出来なければ、決してきれいに縫えないのです。
運針とは和裁では、布と布をミシンのように縫い合わせる作業とくけと言って布の中に針をくぐらせて布を縫い合わせる作業を総称しています。
ただ、縫い合わせる作業だけでもまっすぐ縫い合わせるには、大変な修練が必要です。何年も和裁を続けている人でも何日か休むと手の感覚がくるっていつものように縫えなくなるようです。
特に、縦横を布目で縫うことは、まだ楽ですが、バイヤスの衿付けなどを縫うには、左手全部の指を微妙に使うため少しの狂いが仕立てにでるようです。
この左手の感覚は、非常に繊細で、くけなどをするには、右手で押し出した針先が、まっすぐ通るよう左手が連動して初めてふつうの運針のように布をくけることが出来ます。くけには、本ぐけと折りぐけがありますが、運針の達人は、中を通る針先が見えなくとも針をいちいち抜かずに実に良いリズムで、かなり長く衿などのくけを行っています。折りぐけの時は、左手の中指をセンサーのように使って針目を見ないで、表に響いたりしない、ほとんど見えない位のくけ目で長い距離を運針していきます。素人は、このくけが出来ないので、どうしても流ればりになったり、くけ目が曲がってしまいます。くけでも針は、布目に出来るだけ直角に入ることが重要です。これが、出来ているくけは、非常にぴったりとしたきれいなくけ目になります。