101.和裁と洋裁の違いって何ですか?

第一に最も大きな違いは洋裁は縫い代を切り落としてしまうのに対して和裁は反物を大事に使うため(一反の限られた長さの反物から作る。*反物は同じ物のようでも微妙に織りや染めが違ってしまうので、同じ物はないと考えて裁断します。)無駄に縫い代は切り落としません。

和裁でもコート類は衿は曲線に裁ちますが、着物類は縦横の直線断ちにします。従って、ほどいてつなぎ合わせると元の反物の状態に戻せます。

 次に縫製の仕方です。洋裁は機械ミシン縫製、和裁は手縫いです。ミシンは通常下糸と上糸で縫い合わせる都合上、針がどうしても太くなりますので、生地に穴を空けてしまいます(生地の糸目を切ってしまう)。

それに対して和裁は、先が細く同じ太さの針で一本糸で縫うため生地をほとんど傷つけないで済みます。特に、絹物の場合は、絹自体が湿気により、伸び縮みしますので水に通すとほとんど縫った縫い目が残りません。

 この違いは、再生、使い回し、リサイクルの視点から出来ている和服と洋服の違いを明らかにしています。
 洋服は、身につけるという観点からは、曲線や立体に合わせて体にピッタリとフィットして現代人の生活には非常に適していて無駄がない気がします。それに対して、和服は身にまとう物ですから、着る人の着方で許容範囲があり、個人の着方によっては同じ物でもルーズの感じにもなるし改まった感じにもなります。

それをどう感じるかは、着る人の感性によりますが、帯を締めて着ることから、姿勢が矯正されて、着物を着ると何かシャキッとした感じになります。

 裁断については、洋裁は特別の物でない限り同じ反物が十分にありますが、和裁は一反の限られた長さのしかも二つとして同じの物のない反物(反物は同じようでも微妙に織りや染めが違いますので新品のものでも同じ物はありません)を使用して作りますので、洋裁より裁断に大変なリスクがあります。

102.江戸時代の着物リサイクルって?

伝統的な着物は、江戸の時代から1反の布を同じ比率で無駄なく直線裁ちしてありますから、古着でも古布でもすべて規格品でした。この点が、分解してしまえばほとんど商品価値のなくなる洋服とはまったく異質で、根本的にリサイクル構造になっています。

  江戸時代までの日本では、布はすべて手織りですから、生産力が低く非常に貴重品でした。江戸のような大都会でも、流通している着物の大部分は古着だったそうです。そのため、古着の売買が大きな商売になっていました。享保8年の記録によれば、古着商は同業組合のメンバーだけで1182軒もあり、組合員以外の業者も含めると膨大な数だったようです。主要産業といっても過言でない規模でした。

ちなみに江戸庶民の良妻の条件として先ず挙げられるのが裁縫が上手なことで、娯楽の少ない時代ですから、このころの女性は、一日の生活の中で食事の支度以外の実に多くの時間を裁縫に費やしていたようです。

103.現在和裁をしている日本人の人達は?

 江戸時代から着物は生活の中で日常着としての着物は、ほとんどの女性が針仕事として仕立てていましたが、現在は、運針すら出来ない女性がほとんどではないかと思います。洋服の普及や外国文化への傾倒が本来日本人固有の文化をおろそかにしている気がしてなりません。

 現在日本で和服の仕立てを仕事としている人達は、どんな人達でしょうか。

・和裁の専門学校や和裁所を卒業して国家資格をとって独立して個人で呉服店の仕事をしている人
・和裁所(昔は、三越専属和裁所とか高島屋専属和裁所など各デパート店の仕事を一手に引きけるような大人数の和裁所が沢山ありました。ここは職業見習いとして学費は払わずに修行という形で所属できる場所です。)の生徒として親方(先生)の指示の元に仕事をしている人。

・国家資格は持っていないが、昔はよくあった和裁塾のような自分の着物や親類の着物を材料にして習いながら、いろいろ苦労して現在は職業にしている人。

・会社に所属して下請け加工者として仕事をしている人。

 
104.和裁の海外縫製って? 

着物の仕立ても他の製造業と同様に現在かなり多くの数量が海外で生産されています。海外縫製は平成元年くらいからすでに始まっていますのでもうすでに20年近くの歴史があります。元々広島の和服縫製組合のメンバーが起こしたことと聞いてしますが、始めた方は日本の和裁学校経営者です。
中国をはじめとして現在はベトナムでの生産も盛んなようです。当初はひどい仕事も目立っていましたが、現在は海外縫製業者も淘汰されて技術的にはかなり進歩しています。

 それに対して国内縫製はやはり安い海外縫製に仕事をとられてすでに都会では若い生徒が育てられないレベルまで生産数量は落ち込んできてしまっているのが現状です。その点で現在国内で生き残りをかけて和服を仕立てている業者や個人は大変優秀な技術者か特定の上得意(国内縫製でないと受け付けない人たち)をもった人達、さらに非常に手間の掛かる仕事を安い加工賃で必死に仕立てている方たちだと思います。

105.小紋のきものの裁断って難しいの?

江戸小紋のような柄の場合は、裁断にもあまり時間は掛かりませんが、大きな飛び柄となると非常に時間が掛かるときがあります。時には、一日ががりになることもあります。

なぜかと言えば、基本的に着物の柄合わせは、できるだけ、付下げのように胸や前身頃に良い柄を出し、目立つお尻には柄の重ならないように配慮しながら柄を決めていくのですが、限られた反物の長さでその組み合わせを考えていくのは、容易ではありません。
一カ所に良い柄が出ると思って身頃のような長い部分を全体をよく見ないで裁断してしまうと、衿や衽の半巾の部分に全く位置関係の変な柄しかでなくなったり、柄が中途半端んな位置で切れてしまったりして、良くない感じの柄合わせになることが、多いのです。

小紋の柄合わせには、絶対の決まりはありませんが、裁断のルールがありますし、いろいろな変化が考えられ、その組み合わせは、何通りもあります。裁断する人の知識とセンスが要求されますので、この意味では、訪問着などのえば物のように柄合わせが決まった物の方が、考え方としては、簡単な場合があります。

106.きものの運針について教えて下さい。

着物の仕立てには、運針が正しく出来ることが、非常に重要な要素です。なにしろ、一つの袷着物を仕立てるのにその運針の回数は、7千回から1万回の運針が必要なのです。運針に疲れず、スムーズに一定のリズムの中で、まっすぐ、生地に合わせて、運針の出来るようになるためには何万回練習すれば良いのか、具体的には、解りませんが、相当な練習が必要です。

絹物を縫えるようになるためには、初心者は、まずは、綿の生地や堅い帯芯などを糸を付けずに最低毎日約一週間、何時間か練習して左右の手の連動を体に染みこませるような期間を持たなければなりません。そればかりでは、飽きてしまうので、次に糸を付けて何週間か綿のものをまっすぐ縫う訓練をする必要があります。

その後、ある程度同じ針目でまっすぐ縫えるようになってから、絹物の胴裏や襦袢などの羽二重ものを真っすく縫えるように練習します。絹物は、非常にデリケートなので、両手の引き加減が強くても弱くてもきれいに縫えません。同じ力加減で、ミシンのようにスムーズに優しく生地に合わせて両手の連動が出来なければ、決してきれいに縫えないのです。

運針とは和裁では、布と布をミシンのように縫い合わせる作業とくけと言って布の中に針をくぐらせて布を縫い合わせる作業を総称しています。

ただ、縫い合わせる作業だけでもまっすぐ縫い合わせるには、大変な修練が必要です。何年も和裁を続けている人でも何日か休むと手の感覚がくるっていつものように縫えなくなるようです。

特に、縦横を布目で縫うことは、まだ楽ですが、バイヤスの衿付けなどを縫うには、左手全部の指を微妙に使うため少しの狂いが仕立てにでるようです。

この左手の感覚は、非常に繊細で、くけなどをするには、右手で押し出した針先が、まっすぐ通るよう左手が連動して初めてふつうの運針のように布をくけることが出来ます。くけには、本ぐけと折りぐけがありますが、運針の達人は、中を通る針先が見えなくとも針をいちいち抜かずに実に良いリズムで、かなり長く衿などのくけを行っています。折りぐけの時は、左手の中指をセンサーのように使って針目を見ないで、表に響いたりしない、ほとんど見えない位のくけ目で長い距離を運針していきます。素人は、このくけが出来ないので、どうしても流ればりになったり、くけ目が曲がってしまいます。くけでも針は、布目に出来るだけ直角に入ることが重要です。これが、出来ているくけは、非常にぴったりとしたきれいなくけ目になります。

日本文化と西洋文化の比較考


文化交易赤字
日本の文化は世界に誇るレベルの高い文化である。その文化は文学性・芸術性・歴史、いずれをとっても西洋文化に引けを取ることはない。否、それよりも秀でる文化レベルである。しかし、現状を観ると、日本人は西洋文化を取り入れることに熱心だが、西洋に日本文化を浸透させることは不得手。貿易に例えれば、完全な赤字になっている。貿易赤字は国を崩壊させる。それと同じで現在、日本の文化事情も崩壊寸前。多くの人が気付かない文化交易の赤字大国。良いものを捨て、取り戻せない伝統や技術を蔑ろにして、偏った文化を形成している。明治、そして第二次大戦以来、日本人の西洋に対しての劣等感が、日本の精神文化や社会・家族までも崩している。果たして、これで良いのだろうか。

日本は島国ではなく、沼国である。
地理的に日本は四方を海に囲まれた島国である。通常、島国は四方が海の為に、海外との交易は盛んに行われ、互いの文化交流があった。しかし、日本の場合、海外からの文化を入れ易いが、日本から海外に流すことが少ない。特に文化面では上記のごとく完全な赤字である。経済でも文化でも貿易収支が赤字では、その国の財源がなくなり、国は崩壊する。今、日本は多くの貴重な文化遺産を失いかけている。西洋という高い山々に囲まれた盆地に小さい沼があり、山から川が沼に流れ込むが、その流れを山に戻すことはない。わずかな水が川となって平地に流れる程度である。しかし、この沼は諸外国からの文化という川の流れが注ぎ込まれ、独自の生態系をなしている。所謂、混合文化である。この混合文化が「和文化」を世界に類を見ない形態に創った。「和」とは日本という意味もあるが、異質の物同士が交じり合うことを意味する。「調和・平和・融和・和合」などがその例。

江戸時代の鎖国と明治の開国
日本は江戸時代に海外との交流を禁じた「鎖国令」があった。その鎖国によって、日本独自の文化が形成されていった。それまでは大半が中国や朝鮮、東南アジアの影響を受けて来た。室町時代の天正年間にはポルトガルなどのヨーロッパ文化の影響を受けた。でも、鎖国によって沼は遮断され、独自の生態系が始まった。二百年間という歳月を掛け、外国文化だったものが国風化され、日本文化の基本を築いた。しかし、幕府崩壊によって出来た明治新政府は海外文化を怒涛のように入れ始め、さも西洋文化が格上のような表現や制度を作った。日本の劣等感時代の始まりである。政府官僚は好んで衣食住などに西洋文化を取り入れた。やがて、一般庶民も同様に従い、西洋文化こそが新しい日本を創るなどと謳い、日本文化の良い点を否定し始めた。

日本の現状と文化の浸透

文化の歪
輸出できない日本の文化は高度な文化形態を持つ。日本文化は精神文化である。技術を身に付けるにしても、精神修養を基本とする。茶道・花道・柔道・剣道などの「道」がつく文化が多い。外国人では理解し難い文化であろう。しかし、精神修養などを蔑ろにして、容易にできる文化やマナーが横行し、古来の「道」的文化が少なくなって来た。各国で日本文化のイベントが多く行われるが、それに感動して入門を希望する人は皆無に近い。日本にはピアノ教室やバレー教室など山ほどある。西洋楽器や洋舞関係の教室は無数にあるのに対し、海外での邦楽器や日舞教室がどれだけあろうか。海外で能楽や歌舞伎の公演があっても、それを機に稽古したいと思う人がどれだけいるのだろうか。日本文化は海外では受け入れ難いのか。なぜ日本人は邦楽や日舞を習得しようとは思わないのか。学校教育の中でなぜ日本文化を学ばせようとしないのか。6年間も英語を習うのに対し、満足に話せる人はどれだけいるのだろう。6年間に費やした時間の価値はどうなのだろうか。文化は平等であるべきだろう。西洋だからレベルが高いとか、東洋だから低いとか、そのような問題ではない。優劣など不徳の人間が思うことである。世界各国の文化はそれぞれ異なる。しかし、人間が持つ力は同一レベルである。先進国の誇りは単なる劣等感にしか過ぎない。心豊かな徳ある人間は、決して自国他国を比較することなく、平等に扱い、それぞれの文化や芸術を重んじる。日本人の西洋に対する劣等感を捨て、自国の文化芸術に誇りを持とう。そして、大いに文化芸術を楽しもう。

文化を輸出
海外に輸出しよう。日本の優れた文化芸術をより海外に輸出をする為に、もっと親しみ易い内容にしなければならない。日本文化の場合、精神修養的な文化が多い。確かにそれはすばらしいことではあるが、日本人の若い世代でさえ理解し難い文化なのに、外国人は親しみ難いのは当然であろう。何事にも入門編があって当然。だが、それを教える立場の人間が、入門編へ対して臨機に指導できないでいる。本当に高度な文化は入門編から上級編まで幅広く奥の深いものである。日本文化の輸出と構築にはその要素が必要だろう。

きもの文化
日本における「きもの文化」は1500年近い歴史がある。古代では中国・朝鮮からの影響を受け、正倉院を中心にした東西文化の交流、平安時代からの国風化、室町時代の南蛮文化の影響。鎖国によって海外文化は遮断、それに伴い徹底した国風化。明治時代に入り怒涛のような西洋文化の輸入。純粋たる文化ではなく、複合文化の融合である。日本の「きもの」は世界の染織文化の集大成。長い年月をかけて創生された「きもの文化」は本当に奥が深い。まさに染織技術自体のレベルは世界最高位であろう。ただ残念ながら着装に関しては庶民からかけ離れ、一般生活に不適格のファションになり過ぎた。これは着装技術に問題があるのではないか。西洋服導入以前は誰もが「きもの」を着用していた。「着難いとか面倒だ・・」などとは言う人は皆無。明治以降、西洋服が入っても戦前まで「きもの」姿が多かった。国民のほとんどが「きもの」を着用しての生活に障害などなかった。確かに西洋服は着用が容易かもしれない。でも、「きもの」を否定する必要はない。戦後何故、日本人が「きもの」を嫌うようになったのだろうか。普段の生活に着ていた「きもの」を着難くしてしまったのは、「きもの業界」と「着装方法」ではないだろうか。着装に関しては以前のように気軽に着ることを認めなければならない。普段着があって「礼装」があるのだから、気軽さと重厚さがあって良い。正装になる場合は、確かに見た目の綺麗さも必要である。しかし、礼装は短時間の装いなので、多少の窮屈さも許される。しかし、普段の「きもの生活」に窮屈さは許されない。朝から晩までの長時間着ても疲れないように、自分の体型にあった着装で良い。普段にはあまり補整など要らないのではないだろうか。着装技術は普段と礼装に分けて指導しなければならないだろう。きもの着装技術はすべてのTPOに共通したものではなく、シーンに合わせるべき。

きもの生活
きもの振興には「きもの生活」が最適である。これまでの様に礼装中心となれば着用する機会が少ない。しかも、礼装なりの着装を必要とし、ヘアーメイクなども考慮に入れなければならない。洋服も礼装時はそれなりに気を使う。でも、普段は必要としない。「きもの業界」が取り組んで来たファションは礼装中心の為に「着装する場」が限定されて来た。気軽に着られるはずだった「紬」「小紋」にまで礼装の要素を入れ込んでいる。TPOやコーディネイトを考えれば、紬や小紋に「袋帯」は相応しくない。単価面を考えれば袋帯の方が採算は良いだろう。しかし、お客様の立場から観れば、気軽に着られる「名古屋帯」「細帯」「半幅帯」などが相応しい。きものを推奨しながら、きもの生活は別問題のような感じである。「売上が欲しい」と言いながら、きものを購入していただけるお客様の立場になることができない滑稽な業界である。業界人自身が「きもの生活」をしている人が少ないだけに、正しい商いなどできないだろう。普段に「きもの」を着ていただける人が増えれば、業界は間違いなく成長の道へと進む。儲かる商品や売れる企画などを考えている場合ではない。まずは、多くの方々に「きもの生活」をしていただく環境を創ることである。洋服を抵抗なく着られるようになった日本人。でも、その歴史はまだ100年も経っていない。本格的に洋服が浸透したのは敗戦後である。体形に合わない洋服、話すことのできない英語、胃腸に合わない食事など、日毎「日本人は日本を失いかけている」

取り戻そう日本人に合った文化
西洋文化も良い点は多い。それ以上に日本の文化には良い点が多い、先人たちが長年掛けて積み上げて来た日本文化。日本の風土や気候、慣習、風習に沿った文化は、見た目ではなく心身に良い。例として「日本を離れ、慣れない外国で暮らすようになったら、間違いなくストレスが溜まり、心身に悪影響を及ぼす。たとえ、如何に風光明媚な地であろうと」。誰しも先祖から流れている血がある。その血は長い年月をかけて、生きる為に相応しい体質を作って来た。人間一人の好みでは体質など容易に変わらない。日本人が持つストレスの一部に「衣食住の変化」が影響していることは間違いない。心身の影響もあるだろうか、教育や躾にも影響していると思う。「きもの」は「たたむ文化」であるが、洋服は「吊るす・しまう文化」である。「きもの」は「染め替え・仕立直しの文化」に対し、洋服はその再生に限度がある。「自分のことは自分で始末をする」教育を徹底して来た「道徳的教育」は「進学出世を中心にした営利教育」に変わり、子供たちは自然や家族と触れ合う機会を少なくされている。躾ができない教師や親が増えている。それは教師や親自身、若い頃に道徳教育を受けて来なかったことに原因がある。日本人に合った「日本的教育」の見直しをすべきであろう。美しい日本を創るにも、美しい教育がなされていない。その基本が「道徳」と「家庭」そして「衣食住」にある。日本は経済大国から文化大国へ道を変えなければならない。経済に盛衰はあっても、文化に盛衰はなく、すべては蓄積されていく。真に国際社会で成り立つ為にも、日本人自身に「自国文化を愛する心」は必要であろう。政治・経済・宗教は民族間や国家間にて戦争など引き起こすが、文化に争い事はなく、すべて融和され、人々の大事な交流の源になる。時の流れが創って来た歴史は自然の法則と同じで、急に変えることは無理があり、その速度に付いて行くには大きな障害が生じ易い。その障害を受けるのは、その国の人間たちである。国土に根付いた風習・慣習・作法を簡単に否定したり、捨てたりしてはいけない。大樹を急に移植した場合に枯れることが多い。その大樹にあった土壌を作ることが先決である。歴史・文化は長年掛けた大木である。枯れないように文化の土壌を大切に守ろう。